今回は、かの有名な社寺を紹介しましょう。

 日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)。

栃木県日光市に所在する神社。江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を主祭神として祀る神社。日本全国の東照宮の総本社的存在である。また久能山東照宮・上野東照宮と共に三大東照宮の一つに数えられることが多い。正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」であるが、東照宮の公式サイトがホームページに「日光東照宮」と掲げており、他の東照宮との区別のために「日光東照宮」と呼ばれることが比較的多いようです。

◆巡礼先データ◆

 シリーズ名:一般参拝

 寺    名:日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)

 主 祭 神:徳川家康

 社 格 等:別格官幣社

 創   建:元和3年(1617年)

 本殿の様式:権現造

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◆寺の由来◆

 元和2年4月17日(1616年6月1日)、徳川家康は駿府(現在の静岡市)で死去。遺命によって遺骸は直ちに駿河国の久能山に葬られ、同年中に久能山東照宮の完成を見たが、翌・元和3年(1617年)に下野国日光に改葬されることとなる

日光では同年4月に社殿が完成し(作事奉行は藤堂高虎)、朝廷から東照大権現の神号と正一位の位階の追贈を受け、4月8日(5月12日)に奥院廟塔に改葬され、家康死去の一周忌にあたる4月17日(5月21日)に遷座祭が行われた。なお、改葬は山王一実神道が採用され、薬師如来を本地仏とする神仏習合によって祀られることになった。

寛永11年(1634年)には、9月(9月か10月)に3代将軍・徳川家光が日光社参し、寛永13年(1636年)の21年神忌に向けて寛永の大造替が始められ、荘厳な社殿への大規模改築が行われた。総奉行(日光造営奉行)は秋元泰朝、普請は、江戸はもとより京・大坂からも集められた宮大工たちが、作事方大棟梁・甲良宗広一門の指揮の下で務めた。この年には江戸に来訪した朝鮮通信使が対馬藩主・宗氏の要請で日光参詣を行っており、将軍家の政治的威光にも利用されている。正保2年(1645年)に朝廷から宮号が授与されて東照社から東照宮に改称した。国家守護の「日本之神」として、翌年の例祭からは朝廷からの奉幣が恒例となり、奉幣使(日光例幣使)が派遣された。

家康が日光に祀られることになったのは、家康本人の遺言からである。金地院崇伝の日記である『本光国師日記』には「遺体は久能山に納め、(中略)一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること。そして、八州の鎮守となろう」と残されている。家康が目指した「八州の鎮守」とは、日本全土の平和の守り神でもある。家康は、不動の北辰(北極星)の位置から徳川幕府の安泰と日本の恒久平和を守ろうとしたと伝えられている。

 

 それでは、早速、境内へ足を踏み入れてみましょう。

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 「石鳥居(いしどりい)」を潜ります。

鎮座された翌年の元和4年(1618年)、九州筑前(福岡県)藩主黒田長政公によって奉納された鳥居だそうです。

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 「五重塔(ごじゅうのとう)」です。

いつ見ても、豪華絢爛です。慶安3年(1650年)、若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝によって奉納された塔です。文化12年に火災にて全焼するも、その後文政元年(1818年)に同藩主酒井忠進によって再建されたそうです。

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 「表門(おもてもん)」です。

東照宮へ足を踏み入れての最初の門。左右に仁王像が安置されているところから仁王門とも呼ばれています。

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 「三神庫(さんじんこ)」。

上神庫・中神庫・下神庫を総称して三神庫と言い、この中には春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められているそうです。

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 これは上神庫でしょうか。とにかく荘厳です。

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 上神庫(かみじんこ)、中神庫(なかじんこ)が見えてます。

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 これは中神庫かな?

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 上神庫

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神厩舎(しんきゅうしゃ)の三猿(さんざる)」です。

神厩舎という、ご神馬をつなぐ厩(うまや)に施されている彫刻です。

昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されていて、中でも「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名。

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 第二の鳥居をくぐり、先へと進みましょう。

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 「御水舎(おみずや)」。

ご存じ参拝する前に、手を洗い、口をすすぎ、心身を清める為の建物。水盤は元和4年(1618年)九州佐賀藩主鍋島勝茂によって奉納されたものだそうです。

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 「輪蔵(りんぞう)

仏教の寺院内等に設けられる経蔵の一種。

中には、中心軸に沿って回転させることが可能な八面等に貼り合わせた形の書架を設けられているのでしょうか。一般には、この経蔵を回転させると、それだけで経典全巻を読誦したのと同等の御利益が得られるものと信じられているそうです。

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 「銅灯篭」。いわれは不明です。

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 いよいよ国宝の「陽明門」を潜ります。

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 その前に「鳴竜」を臨む。

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 「陽明門(ようめいもん)」。

日本を代表する最も美しい門。故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされ、いつまで見ていても見飽きないところから「日暮(ひぐらし)の門」ともよばれています。

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 いつみても凄い造形美です。

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 「廻廊(かいろう)」と呼ばれる、陽明門の左右に延びる建物で、外壁には我が国最大級の花鳥の彫刻が飾られ、いずれも一枚板の透かし彫りには、極彩色がほどこされています。

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 「唐門(からもん)」。

全体が胡粉(ごふん)で白く塗られ、「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」や「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」など細かい彫刻がほどこされています。

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 これも精緻な細工が施されてます。

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 「神輿舎(しんよしゃ)」。

春秋渡御祭(518日、1017日)に使われる、三基の神輿(みこし)が納められているそうです。

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 「眠り猫(ねむりねこ)」。

奥の院の入口となる「坂下門」に彫られています。左甚五郎作と伝えられ、牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしているところから「日光」に因んで彫られたとも言われています。これより奥宮に通じます。

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 ねむり猫の裏面には、安心しきったように雀(すずめ)が戯れてます。

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 いよいよ「奥の院」へと進みます。

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 徳川家康公の遺訓でしたっけ?

 「故郷は 遠きにありて 思うもの」じゃなくて、「人に一生は重荷を負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず」でしたね。

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 「奥宮(おくみや)」へ到着。

拝殿を過ぎて、

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 「鋳抜門(いぬきもん)」を遠くに臨んで、

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 間近で見てみます。

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 御宝塔からなる「徳川家康公」の墓所です。

墓所の周りを一周し、

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 撮影場所っぽいところでパチリをやって。

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 ついでにおいらもね。

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◆参拝データ◆

 住  所:日光市山内2301

 交  通:日光ICから2km

 駐 車 場:有(600円)

 拝 観 料:(大人・高校生)1,300円、(小・中学生)450

 拝観時間:(4月1日~1031日)9:0017:00、(11月1日~3月31日)9:0016:00

 電話番号:0288(54)0560 

 ウェブサイト:日光東照宮ホームページ (toshogu.jp)