(前回の続きから)
本日は「多少」晴天なり!
朝飯をたらふく食べた我ら酔待童子ご一行様。バスで唐津東港へと向かう。
今日は、日帰りで壱岐島を往復します。
できれば、壱岐島へ泊りたかったんだけどなぁ。
このフェリーで向かいまっせ。
本日の切符はこれ!
「高島」なる島です。
なんでも「宝当神社」なるお社があって、宝くじが当たるという謂れのあり、宝くじのシーズンには多くのファンが訪れるそうです。
唐津東港で酒とビールを買って、フェリーの看板でパンカ~イ!
おらぁ、瓶のまま飲んだだよ(^-^;
港が遠ざかっていきます。
どこのどういう島かは、もう判りませんわ(^-^;
この島もそう。かなり平べったい島だね。
島って、いろんな形があるから、ホント、見ていて飽きないわ。
ハイ、印通寺港へ入港です。
初訪の島「壱岐島」。それじゃ、楽しんじゃいましょう。
◆島嶼の概要◆ (データは令和2年10月25日現在)
島
名:壱岐島(いきのしま)
所 在 地:長崎県壱岐市
面 積:133.8㎢
海岸線長:167.5㎞
最高地点:岳ノ辻(213m)
人
口:13,178人
渡島手段:本土からの海路は、郷ノ浦港、印通寺港、芦辺港、空路は壱岐空港がある。
宿泊施設:有、食事施設:有、購入施設:有
渡島年月日:令和2年10月11日(日)
島の概要:壱岐島(いきのしま)は、九州北方の玄界灘にある南北17km・東西14kmの島。九州と対馬の中間に位置する。『古事記』では「伊伎島(いきのしま)」とされ、別名を天比登都柱(あめひとつばしら)という。周囲には23の属島(有人島4・無人島19)が存在し、まとめて壱岐諸島と呼ぶ。現在は長崎県壱岐市の1市体制で、全域が壱岐対馬国定公園に指定されている。
※ 上記の状況は訪島時のものですので、行かれる方は、事前に情報を確認願います。
今回は、壱岐島の青いマーカー部分を紹介します。
最初に向かったのは、ここ「原の辻遺跡」
なんでも、『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に記された「一支国(いきこく)」の王都に特定された遺跡だそうです。
紀元前2~3世紀から紀元3~4世紀(弥生時代~古墳時代初め)にかけて形成された大規模な多重環濠集落で、東西、南北ともに約1km四方に広がっているんです
ここね、かなり大規模らしいんだけど、予算の関係でなかなか発掘が進まないと聞きました。でも、発掘調査途中にもかかわらず、古代史を書き換えるような発見が相次いでいて、3~4世紀頃に作られたと考えられるムンクの絵のような形をした人面石が話題になりました。
また、当時「一支国」が交易によって栄えていたことを示す住居跡や日本最古の船着き場の跡が確認されています。
登呂遺跡(静岡県)、吉野ヶ里遺跡(佐賀県)と同じく“史跡の国宝“といわれる国の特別史跡に指定されています。
遺跡はこんな感じから進みます。
復元ですから、当時と同じなのかは、おいら的もは判りませぬわ。
ここだけで、一つの国を形成しているみたいです。
ここは「王の館」だそうです。
「一支国」の王が住む家。
「主祭殿」。
祭りや儀式を行うための中心的な建物。
「祭器・儀器の倉」です。
祭りや儀式を行うための道具の収容倉。
昔はねぇ、すべて神頼みだから、祭りや儀式が重要な行事だったんだもんね。
高床式があったり、縦穴式があったりと、まるで歴史の教科書を見ているみたい。
悠久の時の刻みを感じますな。
そんな遺跡が壱岐島にあるとは知らなかった。
こんなモダンなのもあります。
これ、見張りの施設…だったと思う。
「交易の倉」。
外国や九州本土との交易品を納める倉だそうです。
そういえば「蔵」ぢゃなくて「倉」ね。安っぽい物置のほうね(^-^;
さっ、次の観光地へと向かいます。
お次は、「左京鼻(さきょうはな)」。
東海岸に位置する八幡半島のほぼ先端にある「左京鼻」。
壱岐を代表する景勝地のひとつで、およそ1km続く断崖絶壁の光景は圧巻。
土地名の由来は、「江戸時代前期に旱魃(かんばつ)が続き、陰陽師の後藤左京らが、この場所で雨乞いを行うと大雨が振りだし、村人たちが救われた」という伝記が残っているそうです。
こんな風景が、ホント、好きなんですわ。
これが、おいらの前世が「海賊」だった由来←かなり怪しい根拠。
一番の高所から臨んだ…。
「左京鼻龍神」って表示があるので、「左京鼻神社」でいいんでしょうか?
広々とした草原が広がってます。
はるか遠くに「左京鼻神社」が望めます。
海は我らの訪問などどこ吹く風で、寛大に我らを迎えてくれた。
強風の中で一写。
今回お世話になっているバスはこれ。
さっ、次の見学地へと向かいましょう。
次はね、「はらほげ地蔵」ってところ。
“海女の里“として知られる八幡浦の海中に祀られています。満潮になると胸まで海に浸かるお地蔵様。黙って海の沖を眺める、その姿には哀愁が漂うんです。6体あるお地蔵様は六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)における苦しみや悩みから救ってくれると言われ、
地元では遭難した海女さんや鯨の供養のために祀られているとの伝承が。
ちなみに「はらほげ地蔵」の名前の由来は「お地蔵さんの腹が丸くえぐられているため!」とされています。
我々が訪れた時間帯は引き潮でした。
静かに佇んでました。
み~んな思い思いのシチュエーションで楽しんでます。
海水に浸かるとこんな感じ。
哀愁が漂いますね。
これで壱岐の島の観光地を3つ巡って、午前中の部は終わりです。
お昼は「壱岐牛」。
今回の旅行では、「呼子の烏賊」、「壱岐牛」そして「佐賀牛」と続くそうな。
ちょっとだけ楽しみにしておこう(続く)。
コメント
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