おはようございます。宵待草子です。

 昨日は、久しぶりにお昼は自室で食べた。

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 個室だから食べられるヒルメシだよね。自粛&コロナ太り解消のため(^-^;
 夜は人民食堂(社食)でか~ルく呑んでお帰りなさいした。
 

前回の続きから)

  岡寺を後にした我らご一行様。

  飛鳥の里をひた走ります。

  ナビ画面を見ると、飛鳥京だの石舞台だの高松塚古墳だのと、まるで日本の歴史の教科書を思わせるような地名や史跡がゴロゴロと点在してます。

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  寄っていきたい衝動に駆られるも、先を急ぐ身なので、万感の思いを断ちつつ素通り。

  いずれ近いうちに再訪しようと思う。

クネクネした参道を登り詰めたところに南法華寺(みなみほっけじ)があります。

奈良県高市郡高取町にある真言宗系単立の寺院で、山号は壺阪山。一般には壺阪寺(つぼさかでら)の通称で知られ、西国三十三第6番札所で本尊は十一面千手観世音菩薩。

703年弁基上人によって開かれ、眼病に霊験あらたかな、シルクロードの香りが豊かにただよう寺として信仰されています。

 御 詠 歌:岩をたて 水をたたえて 壺阪の 庭にいさごも 浄土なるらん

◆巡礼先データ◆

 シリーズ名:西国三十三ヵ所巡礼の旅

 寺    名:壺阪山南法華寺(壺阪寺)

 宗   派:真言宗

 開   基:弁基上人

 御 本 尊:十一面千手千眼観世音菩薩

 創   建:大宝3年(703年)

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◆寺の由来◆

 草創については不明な点が多いが、伝承によれば大宝3年(703年)に元興寺の弁基上人により開かれたとされる。後に元正天皇の祈願寺となった。

平安時代、京都の清水寺が北法華寺と呼ばれるのに対し当寺は南法華寺と呼ばれ、長谷寺とともに古くから観音霊場として栄えた。承和14年(847年)には長谷寺とともに定額寺に列せられている。貴族達の参拝も盛んであり、清少納言の『枕草子』には「寺は壷坂、笠置、法輪・・・」と霊験の寺の筆頭に挙げられている。また、寛弘4年(1007年)左大臣藤原道長が吉野参詣の途次に当寺に宿泊している。

往時は3660余坊もの堂舎があったが、嘉保3年(1096年)に火災にあい伽藍のほとんどが灰燼に帰した。その後、子島寺の真興上人が当寺の復興にあたり、これにより当寺は真言宗子島法流(壷坂法流)の一大道場となった。

入口を入ると、まずは「大講堂」が我々を迎えてくれます。

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  堂内には、各種仏像が安置されてます。

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 仁王門を潜ります。

建暦2年(1212)建立。貞慶解脱上人が建立に係ったと伝わっている。

室町期と安土桃山期に大修理を加え、昭和には解体修理を行ったが、平成10年の台風により屋根が半壊したので、平成15年壷阪寺開創1300年を期して、防災上の見地から建立場所を現在の場所に移し、再度解体修理を行った。
 
仁王尊は各、一丈一尺の大きさ。

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  同じような構図となっちゃうけど、この札所を表すと石柱は、外せないでしょ(^^

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  仁王様が履いているという下駄に足を乗せてみました。

  でっけぇ(_;)

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 多宝塔と灌頂堂を臨みます。

多宝塔は、平成14年4月落慶 本尊 大日如来(平安時代)。

外見は二重塔であるが、本来は一重の宝塔のまわりに裳階がついた形であって、発生的には二重塔ではないそう。

宝塔とは、円形の燈身に宝形造の屋根をのせたものをいい、多宝塔の上重の腰が円形で、上に丸みがついているのはその名残りである。平成15年壷阪寺開創1300年を迎えるにあたり、この宝塔の建立を発願し、多くの信徒の勧進により建立された。

その奥の灌頂堂は、平成174月落慶。本尊 十一面千手観音菩薩(室町時代) 豊臣秀長公像・本多俊政公像安置(安土・桃山時代)。

壷阪寺は子島流(小島)または壷坂流と称される真言宗の一流派の道場であった。その教を伝えるための灌頂堂は平安時代に建立されていたと推察されているが、その後、二度の大火に遭いながら、その度ごとに再建されていたと伝えられている。

15世紀にまた大火の難に遭うが、その後再建の記録は見受けることはできないが、平成15年に迎えた壷阪寺開創1300年を期に建立された。

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  手水場は、相変わらずの閉鎖。

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 天竺渡来 大釈迦如来石造「壺阪大仏」が見えてきました。

平成1911月開眼し、身丈10m 台座5m。御前立の十一面千手観音菩薩像 身丈3.3m 台座1.5m。文殊菩薩石像 身丈3m 台座2m、普賢菩薩石像 身丈3m 台座2m。

インドでの奉仕活動のご縁から始まった国際交流・石彫事業の一環で、製作された。文殊菩薩は釈迦如来の「智慧」を普賢菩薩は「行」観音菩薩は「慈悲」を表している。

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本堂へと足を進めてみましょう。

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 三重塔が見えてきました。

明応6年(1497)再建。注目されるのは構造で、通常、手先の肘木を内側に延ばしてつなぐが、二段目、三段目の肘木もつないで構造を強化している。
 
平成22年着、平城遷都1300年を記念して再建以来初めて初層開扉内拝が行われた。

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 慈眼堂。

平成18年秋 落慶。平成23年の澤市開眼350年を記念して創られる夫婦観音像のご分身を奉り、新しい御堂を「慈眼堂」とした。

堂内にはインド・ムンバイ在住の画家カーマット氏によるお釈迦様の佛伝図を揚げられている。

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  別方向からもパチリ。

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 禮堂。

この御堂は本尊を礼拝するために建てられたもの。但し、1096年に焼失するが、1103年に再建された。その後鎌倉時代初期に焼失し、直ちに再建されるが、室町時代初期にも焼失。その後再建されるが、江戸時代には、模様替えなど大改築がなされ、規模も縮小されたが、昭和解体修理時に行われた地下発掘調査並びに残存していた部材から、室町時代の禮堂の姿が判明し、御堂の大きさ等を室町のそれに戻して、建てられている。

組物の方式は東大寺法華堂礼堂や、般若寺楼門にみられた室町時代中期にみられた手法。

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  お堂の入口には、私酔待童子が崇拝してやまない「不動明王」様が鎮座。合唱。

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 天竺渡来佛伝図レリーフ「釈迦一代記」だそうな。

昭和62年安置 高さ3m 全長50m 重さ300tなり。

このレリーフは、数百に及ぶ佛伝図の中から、比較的誰でも知っている釈尊の道が描かれている。大石造美術であるが、インドでは、輸送の都合上各場面を数個に分断し彫刻された。そして、その結合・修正は、高松市郊外庵治町で行われたが、本体の彫刻は何千年もの間、石を刻んできたインドの人たちの技術をそのまま見てもらうため、いっさいの修正を加えなかったそうです。

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 めがね供養観音。

壷阪観音は眼の観音さまとして古くから信仰があり、そのご縁で眼に関係する物の奉納供養の相談は色々とある中で、古くなった「めがね」は、産業廃棄物として処分されるが、余りにも忍びがたく、日夜人の役に立ってきた「めがね」に感謝し、その功徳により眼の健康にご加護頂くため、インドで観音像を制作してもらい当寺で組み立てた。古いめがねやコンタクトレンズは台座に奉納供養されるそうです

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  このお堂は何かは不明ですが、均整が取れていたので、パチリしちゃいました。

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  道路を挟んで対岸にも巨大な石造物があります。

  大観音石造の御手。でっかい(_;)

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 天竺渡来大観音石造。

昭和583月 開眼 全長20m 全重量1200t

インドハンセン病救済事業の縁でインドから招来したもの。延べ7万人のインドの石工が参加してすべて手造りで製作されたそうです。20mの巨岩は動かすことも、運ぶことも不可能なので66個に分割して彫刻し、日本に運ばれ組み立てたそうです。この巨岩を支える土台は深く基礎岩盤にまで掘り下げられ、数万巻の写経と土台石が埋納されているそうで、また、胎内にも数万巻の写経と胎内石が納められ、66個の石が1本の巨石となっています。

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  ド迫力だ~!

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  一方、私宵待草子は、喉がカラカラで、「7up」なるレトロチックなソーダで映えを狙っているチンケな存在なり。

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 これは、天竺渡来大観音石造と天竺由来大涅槃石造。

平成11年安置 全長8m その由来は、大観音石像と同じく、インドにおける奉仕事業のご縁で始まった国際交流・石彫事業の一環として製作された。涅槃像はすべての教えを説き終えて入滅せんとする釈迦の姿を顕している。

これまたでっけぇです(_;)

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  ちょいと遊んでみました(^^

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  さっ、後は引き返すだけ。

  ふと横を見ると「大釈迦如来石造「壺阪大仏」」が…。

  その上に、先ほどの大観音石造を、乗っけちゃいました(^-^;

  思わず遊び心で…。

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 このお寺には、養護盲老人ホーム「慈母園」が併設されてます。

昭和36年完成。壷阪寺は昔から眼の不自由な人々にとっての聖地として厚い信仰と、深い願いがこめられ、全国各地から訪れる人が絶えない。そのため、この地に、昭和36年、日本で最初の「養護盲老人ホーム慈母園」誕生。昭和45年より法人名を「壷阪寺聚徳会」と改名し、現在もさまざまな福祉事業を行っているそうです。

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  飯田を5時に出て、午前中で何とか、三観音を巡礼することができた。

  さっ、飯だ、飯。

  何食べようかなぁ(^^  ったく、観音巡りをしても、食欲煩悩は抑えられない宵待草子であった(続く)。

◆参拝データ◆

 住  所:高市郡高取町壷阪3番地

 交  通:近鉄壺阪山 バス・タクシーで約10

 駐 車 場:有(有料 普通車80台・大型バス6台)

 拝 観 料:大人600円 小人100円 団体割引あり

 拝観時間:8:3017:00

 納経時間:8:3017:00

 電話番号:0744(52)2016

 ウェブサイト:http://www.tsubosaka1300.or.jp