おはようございます。宵待草子です。
 
 
 
(前回の続きから)
 鮪と鯨で大渋滞した我が胃袋も1夜明けたら、正常な胃袋に戻ってました(^^
 さて、納経軸を忘れたおバカな酔待童子ご一行
 
 2~4番札所へ行くのも中止して、真言宗の大本山、そして空海が開基である「高野山 金剛峯寺」へ行くことにした。
 
 2~4番札所は、今年の冬に「クエ」を食べながら、巡礼しますわ。
 
 今回紹介する行程は、白いマーカーの部分です。
 
イメージ 1

 金剛峯寺は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗総本山の寺院で、高野山は、和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置し、100か寺以上の寺院が密集する、日本では他に例を見ない宗教都市。 


 こんな感じで、町が一つのお寺。
 
イメージ 2
 
 駐車場もね、無料なんは良心的やね。
 ちょっと歩いてみましょうかね。
 
イメージ 3
 
 ここはいったいなんて寺だったのだろう?
 
イメージ 8
 
 これも解らず…。
 
イメージ 4
 
 今回は、時間の関係で、大伽藍から入って金剛峯寺へと抜けてみましょう。
 
◆巡礼先データ◆
 シリーズ名:一般参拝
 寺    名:高野山 金剛峯寺
 宗   派:高野山 真言宗
 開   基:空海
 御 本 尊:薬師如来
 創   建:弘仁7年(816年)
 
イメージ 5
 
 ご朱印です。
 まずは、大伽藍でいただいたもの。
 
イメージ 6






























 





イメージ 7










    







こちらは、金剛峯寺でいただいたもの。


イメージ 9 
イメージ 10 
◆寺の由来◆
 高野山は、平安時代のはじめに弘法大師(空海)によって、開かれた日本仏教の聖地。
「金剛峯寺」という名称は、お大師さまが『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』というお経より名付けられたと伝えられてます。
東西60m、南北約70mの主殿(本坊)をはじめとした様々な建物を備え境内総坪数48,295坪の広大さと優雅さを有しています。
 
 
 
総本山金剛峯寺という場合、金剛峯寺だけではなく高野山全体を指します。
 
普通、お寺といえば一つの建造物を思い浮かべ、その敷地内を境内といいますが、高野山は「一山境内地」と称し、高野山の至る所がお寺の境内地であり、高野山全体がお寺なのです。
「では、本堂はどこ?」かと言うと、高野山の本堂は、大伽藍にそびえる「金堂」が一山の総本堂となるそうです。そして、高野山の重要行事のほとんどが、この金堂にて執り行われていることからも判ります。
 
山内に点在するお寺は、塔頭寺院(たっちゅうじいん)といいます。お大師さまの徳を慕い、高野山全体を大寺(だいじ 総本山金剛峯寺)に見立て、山内に建てられた子院のことで、現在では117ヶ寺が存在し、そのうち52ヶ寺は宿坊として、高野山を訪れる参詣者へ宿となっているそうです。
 
 
 
 それじゃ、ちょっと離れた「大門」は省略して、こちらの門「中門」から入ってみましょう。
 
天保14年(1843年)の大火により、西塔のみを残して、ことごとく焼き尽くされましたのですが、復元されました。
 
イメージ 11 
 それぞれの四隅に「四天王」が安置されてます。
 
まずは、持国天
東方を護る守護神として造像される場合が多く、仏堂内部では本尊の向かって右手前に安置されるのが原則。その姿には様々な表現があるが、日本では一般に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表されてます。
 
イメージ 12 
 次は多聞天
 毘沙門天(びしゃもんてん)は、仏教における天部の仏神。四天王の一尊に数えられる武神であり、四天王では多聞天として表わされる。
 
イメージ 13 
 これは増長天
四天王の一体、南方を護る守護神として造像される場合が多い。仏堂では本尊の向かって左手前に安置するのが原則。その姿には様々な表現があるが、日本では一般に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表されます。
 
イメージ 14 
 これは廣目天
 西方を護る守護神として造像されることが多い。仏堂内では本尊の向かって左後方に安置するのが原則である。その姿には様々な表現があるが、日本では一般に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表される。
 
イメージ 15 
 東大寺の四天王に比べると迫力に欠けるけどな…。
 
 はい、門をくぐると、大伽藍。
これは「金堂」。
平安時代半ばから、高野山の総本堂として重要な役割を果たしてきたお堂。
 
イメージ 16
 
 こんな角度のいいよね。
 
イメージ 17
 
 これは「六角経蔵」。
 鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うため、紺紙に金泥で浄写された一切経を納めるために建立された経蔵。
 現在の建物は昭和9年(1934年)2月に再建され、経蔵の基壇(きだん)付近のところに把手がついており、回すことができるようになっています。この部分は回転するようにできており、一回りすれば一切経を一通り読誦した功徳が得るといわれてるんですよね。
 
イメージ 18
 
 これは「山王院」。
 山王院は御社の拝殿として建立された、両側面向拝付入母屋造りの建物。
 
イメージ 19
 
 御社
 お大師が弘仁10年(819年)に山麓の天野社から地主神として勧請し、高野山の鎮守とされたそうです。
 
イメージ 20
 
准胝堂
 本尊の准胝観音は、弘法大師が得度の儀式を行う際の本尊として自ら造立されたと伝えられています。

イメージ 21
 
 鐘楼です。
 
イメージ 22
 
御影堂です。
もとは、大師の持仏堂として建立されましたが、後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し、御影堂と名付けられました。
 
イメージ 23
 
三鈷(さんこ)の松
大師が祈りを込めて唐から投げた三鈷がこの木に掛かって毎夜光りを放ったとの言い伝えが。
 
 それは、弘法大師が都遥かに都を離れ、しかも約1000mの高峰であるこの高野山を発見されたことに古くから伝えられる物語。
弘法大師が2年の入唐留学を終え、唐の明州の浜より帰国の途につかれようとしていた時、伽藍建立の地を示し給えと念じ、持っていた三鈷(さんこ)を投げられた。
その三鈷は空中を飛行して現在の壇上伽藍の建つ壇上に落ちていたという。
 
 弘法大師はこの三鈷を求め、今の大和の宇智郡に入られた時そこで異様な姿をした一人の猟師に逢った。
 手に弓と矢を持ち黒と白の二匹の犬を連れていた。弘法大師はその犬に導かれ、紀の川を渡り嶮しい山中に入ると、そこでまた一人の女性に出会い「わたしはこの山の主です。あなたに協力致しましょう」と語られ、さらに山中深くに進んでいくと、そこに忽然と幽邃な大地が。
そして、そこの1本の松の木に明州の浜から投げた三鈷がかかっているのを見つけこの地こそ真言密教にふさわしい地であると判断しこの山を開くことを決意されたそうです。
 
イメージ 24
 
そして、その松は「三鈷杵(さんこしょう)」と同じく三葉の松であり、「三鈷の松」としてまつられるようになったんです。
現在では参詣者が、縁起物として松の葉の落ち葉を持ち帰り、お守りとして大切にされてるんですよ。
我々も見つけました(^^
 
イメージ 25
 
根本大塔
真言密教の教えを体現する象徴として建てられた塔で、塔内には立体の曼荼羅世界が広がります。
 
イメージ 26
 
朱印をいただいている間に、正面から撮りました。
 
イメージ 27
 
愛染堂
建武元年(1334年)、後醍醐天皇の綸命によって四海静平、玉体安穏を祈るために建立されました。
 
イメージ 28
 
東塔です。
大治2年(1127年)、白河院の御願によって醍醐三宝院勝覚権僧正によって創建されたものです。
 
イメージ 29
 
ここ何だったか忘れちゃった(~_~;)
 
イメージ 30
 
金剛峯寺へと続く参道です。
どうやら逆回りになっちゃったみたい…。
 
イメージ 31
 
ここから入っていくのにねぇ。出てきちゃった(^-^;
 
イメージ 32
 
さっ、いよいよ金剛峯寺へと参りましょうか。
 
イメージ 37

 山門をくぐって、
 
イメージ 34
 
金剛峯寺
高野山真言宗の総本山で全国に約3,600ケ寺の末寺を有します。
山上のほぼ中央にあり、弘法大師空海が開創した当時は、高野山全域を金剛峯寺と称しました。
現在の金剛峯寺は、文禄2年(1593年)豊臣秀吉が亡母の菩提を供養するために木食応其上人に命じて建立した青厳寺・興山寺を明治2年(1869年)に合併し、総本山金剛峯寺と改称したそうです。
 
イメージ 33
 
いまね、修復中でした。
 
イメージ 38

中は撮影禁止なので撮ってないよ。
唯一、坪庭を取りました。蟠龍庭(ばんりゅうてい)。
石庭としては、我が国最大の庭(2,340㎡)で、雲海の中で雌雄一対の龍が、奥殿を守っているように表現されてるんだって。
 
イメージ 35
 
これは「大師教会」。
大正11年(1925年)、高野山開創1,100年記念として建てられたもの。
本尊は、弘法大師、脇仏は愛染明王、不動明王。
 
イメージ 36
 
◆参拝データ◆
住  所:伊都郡高野町高野山132
交  通:マイカーもしくは南海鉄道極楽橋駅から南海高野山ケーブルで高野山へ
駐 車 場:有無(円)
拝 観 料:金剛峯寺:一般:500円小学生:200円 未就学児無料、金堂:200
拝観時間:金剛峯寺:(通年)8:3017:00(受付は16:30まで)、金堂:(通年)8:0017:00
電話番号:0736(56)2011
ウェブサイト:http://www.koyasan.or.jp/
 
 
 
さてさて、代表的なものしか見れなかったけど、いい雰囲気の街並みですね。
時間を置いて、ここだけの訪問も大アリです。
 
さっ、ここから琵琶湖北部までっていうと、かなり距離があります。
早く昼食を摂らないと夜に響く…。
 
美味いラメーンにでも巡り会えればなぁ(続く)。