(前回の続きから)

 そう言えば、中学の歴史教科書に「六波羅探題」なんて役職ありましたよね。

 その影響からか、「六波羅蜜寺」ってずっと気になってたんですよ。

 したらね、西国三十三札所巡りのメンバーだったとは…。(^^♩ヤッターマン

 因みに、「六波羅(ろくはら)」って、京都の鴨川東岸の五条大路から七条大路一帯の地名。現在の京都市東山区の一部。六原とも記されるそう。

 そして「六波羅蜜(ろくはらみつ、梵atpāramitā)」とは、大乗仏教で説く悟りの彼岸に至るための6つの修行徳だそうです。

 また、たっけぇ駐車代を取られるかと思ったら、ここは5台ほどの駐車場だったけど、無料だった。京都のど真ん中で、太っ腹ぁ!

 んじゃ、参拝してみましょうかね。

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 ここ、京都市東山区にある真言宗智山派の寺院で、山号は補陀洛山。本尊は十一面観音。空也が開基の寺、源平両氏の中心史跡、そして西国第十七番札所霊場です。

 御 詠 歌:重くとも五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば

◆巡礼先データ◆

 シリーズ名:西国三十三ヵ所巡礼の旅

 寺    名:補陀洛山 六波羅蜜寺

 宗   派:真言宗智山派

 開   基:空也上人

 御 本 尊:十一面観世音菩薩

 創   建:天暦5(951)年

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◆寺の由来◆

 踊り念仏で知られる市聖(いちひじり)空也(くうや)が、平安時代中期の天歴5年(951年)に造立した十一面観音を本尊とする道場に由来し、当初西光寺と称した。

空也は疫病の蔓延(まんえん)する当時の京都で、この観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったという。

応和3年(963年)に鴨川岸に僧600名を集めて大規模な大般若経供養会を行ったが、この時をもって西光寺の創建とする説もある。当時、鴨川の岸は遺体の捨て場であり、葬送の場であった。

空也の死後、977年に比叡山の僧・中信が中興して天台別院とし、六波羅蜜寺と改称した。それ以降天台宗に属したが、桃山時代に真言宗智積院の末寺となった。平安末にはこの付近に、六波羅殿と呼ばれた平清盛ら平家一門の屋敷が営まれた。またのちに鎌倉幕府によって六波羅探題が置かれたのもこの付近。

 

 住宅の中にこじんまりと佇んでました。

 訪れる人も少ないかな…。

江戸時代までは大伽藍を連ねたが、明治維新の廃仏毀釈を受けて大幅に寺域を縮小。現在、寺の周囲は民家に囲まれて境内は狭く、主な建物は本堂(南北朝時代、重文)と弁財天堂、宝物収蔵庫のみとなってます。

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 弁財天堂です。

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 「六波羅浄心苑」です。なにかは…不明。

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 十一面観音龍像と本堂(重要文化財)。これをセットで撮るのが基本。

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 本堂は残ってヨカタね。南北朝時代からの遺物ですから…。

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 ここ、京都のパワースポットともなっているようです。

 怖い話もありまして…。

六波羅蜜寺は、死者を葬送していたと言われている、「死の六道」と呼ばれる場所に建っているそうで、当時の京都の人たちは、人が亡くなると亡がらを棺に納め、鴨川を渡り、「死の六道」と呼ばれている場所で死者に最後のお別れをしたそうです。

死の六道と呼ばれる場所は、六道の辻という地名で、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、冥界の6つの世界がつながっている場所と言われています。そのため、この辻の中に建っている六波羅蜜寺も少し怖く感じるみたいです。

髑髏原六波羅というのも有名だそうで、江戸時代まで「髑髏(どくろ)町」と呼ばれ、人骨が至るところに転がっていたと言われてます。

◆参拝データ◆

 住  所:京都市東山区松原通大和大路東入ル2丁目轆轤町

 交  通:バス

 駐 車 場:有(無料)

 拝 観 料:入山料(無料)、宝物館拝観料(大人600円、大学生・高校生・中学生 500円、小学生 300円)

 拝観時間:8:0017:00

 納経時間:同 上

 電話番号:075(561)6980

 ウェブサイト:http://www.rokuhara.or.jp/

 

 思いのほか境内が狭くてびっくり(_;)

 でも、国宝の本尊像以外にも、空也上人像、伝・平清盛像、運慶の真作と見なされる地蔵菩薩坐像など日本彫刻史上著名な仏像、肖像が宝物収蔵庫(公開)に安置されているそうです。

 さすが、六波羅蜜寺だね(続く)。