本日は、仏閣を紹介しましょう。

 この日(4月8日)は、木曽から長野市へと移動。

 午後の仕事を終え、懇親会までの空いた2時間を、解放してもらって、一人で善光寺へと向かった。

 アタシャ、長野県人だから、もう善光寺は、数知れず行ってるけど、参道から本堂への参拝しかなかったので、一人でのんびりと回ってみました。

 

善光寺。それは、長野県長野市にある無宗派の単立仏教寺院。住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務め、本尊は日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来で、絶対秘仏である。

これだけ広い寺域を誇る寺院は地方都市では珍しく、所謂総本山と呼べる寺院に匹敵する大きさ、もしくはそれ以上の存在感がある。

山号は「定額山」(じょうがくさん)で、山内にある天台宗の「大勧進」と25院、浄土宗の「大本願」と14坊によって護持・運営されている。「大勧進」の住職は「貫主」(かんす)と呼ばれ、天台宗の名刹から推挙された僧侶が務めている。「大本願」は、大寺院としては珍しい尼寺である。住職は「善光寺上人」(しょうにん)と呼ばれ、門跡寺院ではないが代々公家出身者から住職を迎えている(浄土宗では大本山善光寺大本願の法主)。平成26年(2014年)時点の「善光寺上人」(「大本願上人」)は鷹司家出身の121世鷹司誓玉である。

特徴として、日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられている。また女人禁制があった旧来の仏教の中では稀な女性の救済が挙げられる。

三国渡来の絶対秘仏の霊像と伝承される丈一尺五寸の本尊・一光三尊阿弥陀如来が本堂「瑠璃壇」厨子内に安置されている。その姿は寺の住職ですら目にすることはできないとされ、朝の勧行や正午に行なわれる法要などの限られた時間に金色に彩られた瑠璃壇の戸張が上がり、瑠璃壇と厨子までを拝することが通例とされる。数えで七年に一度の御開帳には、金銅阿弥陀如来及両脇侍立像(前立本尊)が絶対秘仏の本尊の分身として公開され、善光寺聖の勧進や出開帳などによって、江戸時代末には「一生に一度は善光寺詣り」と言われるようになった。今日では御開帳が行われる丑年と未年に、より多くの参拝者が訪れる。

また、日本百観音(西国三十三所、坂東三十三所、秩父三十四所)の番外札所となっており、その結願寺の秩父三十四箇所の三十四番水潜寺で、「結願したら、長野の善光寺に参る」といわれている。

◆巡礼先データ◆

 シリーズ名:一般参詣

 寺    名:定額山 善光寺

 宗   派:無宗派

 開   基:()皇極天皇(勅願)

 御 本 尊:一光三尊阿弥陀如来(絶対秘仏)

 創   建:()皇極天皇3年(644年)

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◆寺の由来◆

 『善光寺縁起』によれば、御本尊の一光三尊阿弥陀如来は、インドから朝鮮半島百済国へと渡り、欽明天皇13年(552年)、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれている。

この仏像は、仏教の受容を巡っての崇仏・廃仏論争の最中、廃仏派の物部氏によって難波の堀江へと打ち捨てられたが、後に、信濃国司の従者として都に上った本田善光が信濃の国へと持ち帰り、当初、長野県飯田市でお祀りされ、後に皇極天皇元年(642年)現在の地に遷座となった。

皇極天皇3年(644年)には勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられた。創建以来十数回の火災に遭いましたが、その度ごとに、復興し、護持されてきた。

やがて、11世紀前半になると、京の貴族を中心に浄土信仰が盛んになり、浄土教の隆盛とともに、善光寺聖と呼ばれる民間僧が本尊のご分身仏を背負い、縁起を唱導して、全国各地を遍歴しながら民衆の間に善光寺信仰を広めた。また、信仰の拡大に伴い、分身仏が作られるようになった。

鎌倉時代になると、源頼朝や北条一族は厚く善光寺を信仰。善光寺信仰が広まるにつれ、全国各地には新善光寺が建立され、御本尊の模刻像が多く造られた。現在の前立御本尊はこの鎌倉時代の作。鎌倉時代には多くの高僧の帰依も受けた。東大寺再建の勧進聖として有名な俊乗坊重源をはじめ、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人、時宗の宗祖・一遍上人なども善光寺に参拝し、仏徳を深く心底に感得された。

戦国時代に入ると、弘治元年(1555年)、武田信玄は御本尊様や多くの什宝、寺僧に至るまで、善光寺を組織ごと甲府に移った。その武田家が織田・徳川連合軍に敗れると、御本尊様は織田家、徳川家の祀るところとなり、最後は豊臣秀吉が京都・方広寺の御本尊とした。そして、秀吉の死の直前、如来がその枕元に立たれ、信濃の地に戻りたい旨をお告げになり、それによって慶長三年(1598年)、40数年ぶりに善光寺に帰還となった。

戦乱の時代に巻き込まれ、荒廃を余儀なくされたが、江戸幕府開府に伴い、徳川家康より寺領千石の寄進を受け、次第に復興を遂げていった。泰平の世が続き、一生に一度は善光寺詣りをと、多くの人々が参詣。念仏を唱えて一心に祈る者を皆極楽浄土に導くとして、一貫して男女平等の救済を説く寺院として知られていたため、女性の参拝者が多いことが善光寺詣りの特徴でした。当時の参拝の様子を描いた絵馬にも、女性の信者の姿が多いのが特徴。江戸時代に入ってからも火災に遭いましたが、御本尊様の分身仏である前立御本尊を奉じて全国各地を巡る「出開帳」によって集められました浄財をもって、宝永4年(1707年)には現在の本堂を落成し、続いて山門、経蔵などの伽藍が整えられた。

 

 それでは、境内へと足を踏み入れていきましょう。

 まず最初に現れるのが、「大本願」。

創建以来、尼公上人をもって住職とし、代々皇室関係の方々が入山されています。近世において、尼僧では伊勢・慶光院、熱田・誓願寺とともに日本三上人といわれていましたが、今日では大本願の上人様のみが法灯を継承されている。大勧進の貫主(かんす)と共に善光寺住職を兼ねており、毎朝善光寺本堂で行われるお朝事(お勤め)に出仕。大本願には、本誓殿・奥書殿・明照殿・表書院・光明閣・寿光殿・宝物館などがある。

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 続いて「仁王門」です。

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 宝暦2年(1752年)に建立されたが、善光寺大地震などにより二度焼失し、現在のものは大正7年(1918年)に再建。この門には善光寺の山号である「定額山」の額が掲げられている。

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 仁王像並びに仁王像背後の三宝荒神・三面大黒天は共に高村光雲・米原雲海の作であり、その原型は善光寺史料館に展示されている。

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 参道を進み、

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 ちょいと横道にそれると、釈迦堂があります。

世尊院の小御堂である釈迦堂の御本尊は、鎌倉時代の作とされる我が国唯一の等身大(1.66メートル)の銅造釈迦涅槃像。戦国時代には善光寺の御本尊・御三卿像・御印文と共に全国を流転したそうです。

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 仲見世通りを先に進みます。

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「六地蔵が見えてきました。

宝暦9年(1759年)に浅草天王町祐昌が願主となって造立。昭和19年に金物供出に出されてしまったが、昭和29年に再興されて、現在に至っている。

因みに六地蔵とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の6つの世界で我々衆生を救う菩薩様。

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 その隣には、「ぬれ仏(延命地蔵)」があります。

享保7年(1722年)に善光寺聖・法誉円信が全国から喜捨を集めて造立した延命地蔵尊。

江戸の大火を出したといわれる八百屋お七の霊を慰めたものという伝承が伝えられているため、俗に「八百屋お七のぬれ仏」とも呼ばれています。

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 やっと「山門(三門)」にたどり着きました

寛延3年(1750年)に建立された二層入母屋造りのです。屋根は大正年間の葺き替え時に檜皮葺きとなりましたが、平成14年から19年にかけて行われた平成大修理において、建立当時と同じサワラの板を用いた栩葺き(とちぶき)に復原されました。

楼上には輪王寺宮筆の「善光寺」と書かれた額が掲げられており、これは通称「鳩字の額」と呼ばれており、3文字の中に鳩が5羽隠されています。更に「善」の一字が牛の顔に見えると言われ、「牛に引かれて善光寺参り」の信仰を如実に物語っています。

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 全国善光寺会の会員寺院の名簿が張られていました。

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 「大勧進」を覗いてみましょう。

この門、「大門」と言うらしいです。

寛政元年(1789)初代立川和四郎の作だそうで、10万石の格式ある門と言われてます。「大勧進」の扁額は清(中国)の閔鶚元氏の筆。

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 大勧進の住職は貫主(かんす)と呼ばれ、大本願の上人(しょうにん)と共に善光寺住職を兼ねています。

貫主は代々比叡山延暦寺より推挙される慣習になっており、毎朝善光寺本堂で行われるお朝事(お勤め)に出仕される。

 ここは、「紫雲閣」。

平成8年秋、新築された客殿。200畳の大広間は500人の収容が可能。中林梧竹の扁額(横6m)「天華法界」は見応えある書です。単に客殿としてだけでなく、茶会やコンベンションホール、エキシビジョンホール、特に長野冬季オリンピックでは和室の利用が外国の人々に大変好評だったとのこと。今は、仏前結婚式にも利用されてます。広い式場で親族他友人達も参加でき、貫主大僧正戒師、そして何より大僧正直筆の色紙がプレゼントされることから人気があります。

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 これは、「萬善堂」です。

 大勧進の本堂で十一間四面の御堂で正面に本尊善光寺如来、左に永代過去帳、右に開山本田善光、弥生、善佐を安置。聖観音縁日が、毎月1813:00~で、この日に参詣すると、大きな功徳があると言われてます。

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 いい佇まいだね(^^

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 これは、「地蔵堂」です。地蔵八角円堂と呼ばれてます。

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 「水子観音」です。

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 「位牌堂」。

諸国の信者の方の位牌数十万体が安置。NHKで放映された武田信玄・上杉謙信の位牌は現在第一宝物館に安置されているそうです。

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 護摩堂です。

智証大師御作を伝える不動尊を中心に愛染明王、元三大師の尊像を奉安。特に、日本三大不動と言われる厄除不動尊の霊験は古く全国に知れ、下陣掲額の「厄除不動尊」の扁額は東郷元師が日本海々戦の戦捷報告の砌り書かれたものです。

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 さっ、本堂へと進みましょう。

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 本堂は創建以来十数回もの火災に遭いましたが、そのたびに善光寺を慕う全国の信徒によって復興されてきました。現在の本堂は宝永4年(1707年)の再建で、江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されています。間口約24メートル、奥行き約54メートル、高さ約29メートルという国内有数の木造建築で、T字型の棟の形が鐘を叩く撞木(しゅもく)に似ていることから「撞木造り」と呼ばれています。屋根は総檜皮(ひわだ)葺き。

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 今まで行ったことのない本堂の後ろへと進みます。

 「雲上殿」だってさ。

善光寺平を一望できる大峰山の中腹にあるこのお堂は、善光寺に古くから伝わる納骨・分骨の風習を受け継ぐために建てられたもの。堂内の霊壇・霊龕(永代使用可能な簡易墓)は宗派を問わずどなたでもご利用でき、内仏殿には善光寺如来様の分身仏が祀られ、納骨された縁故者の為に日々追善法要が営まれています。

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 「日本忠霊殿・善光寺史料館」が見えてきました。

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 途中でね、桜と灯篭を切り取りました。

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 戊辰戦争から第二次世界大戦に至るまでに亡くなられた240万余柱の英霊を祀る、我が国唯一の仏式による霊廟です。御本尊は秘仏の善光寺如来様の分身仏です。(高村光雲門下 関野聖雲作)

1階には善光寺所蔵の什物を展示する「善光寺史料館」が併設され、絵馬などを通して全国に根付く善光寺信仰の歴史を垣間見ることができます。

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 「経蔵」です。

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宝暦9年(1759年)に建立された宝形造りのお堂。内部中央には八角の輪蔵があり、その中には仏教経典を網羅した『一切経』が収められています。輪蔵に付属している腕木を押し回すことでこの『一切経』を全て読んだことと同じ功徳が得られるといわれています。また、経蔵内には輪蔵を考案した傅大士、並びに伝教・慈覚の両大師像が祀られています。

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 「鐘楼・梵鐘」です。

 嘉永6年(1853年)に再建された檜皮葺の建物で、南無阿弥陀仏の六字にちなんで6本の柱で建てられています。

梵鐘は寛文7年(1667年)鋳造の名鐘であり、重要美術品に指定されています。毎日午前10時から午後4時の毎正時に時を知らせる鐘となってました。

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 手水場です。
 さすがに、禍々しい武漢発新型コロナウイルの影響で、手は洗えません。

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 さっ、ほぼ見終わったんで、会社へと戻ります。

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 宿坊通り。

善光寺には39の宿坊があり、それぞれに御堂があり、住職がいます。住職は善光寺如来に奉仕し、その護持に勤めると共に、全国からの参拝者の世話をしています。

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 もれも宿坊の一つ。

 花桃が綺麗だったのでパチリ。

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 幼い頃は、頻繁に親に連れて行ってもらったけど、久しぶりにじっくり見て見ると、1時間ほどじゃ回りきれないことにビクーリ(_;)

◆参拝データ◆

 住  所:長野市元善町491

 交  通:自動車、バス、タクシー、徒歩

 駐 車 場:有(500円:2時間)

 拝 観 料:無

 拝観時間:5:1916:30

 納経時間:8:3016:30

 電話番号:026(234)3591

 ウェブサイト:https://www.zenkoji.jp